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2017-07-28

熱血先生

私がギタリストという職業があることを知ったのは小学5年、ナルシソ・イエペスの来日公演を母に連れられて聴きに行ったのがきっかけでした。
ギターを習い始めて1年。イエペスのコンサートの翌日から「ギタリストになる!」と言いだしたと思いますが、あくまでまわりの友達が「保母さんになる」「総理大臣になる」と言っているのと変わらない調子です。

でも、多くの観客の前で独りで演奏する姿はカッコいいと思ったし、こんな拍手喝さいがもらえるなんて、いいなー!と憧れたのは確かです。それからは作文で将来の夢について書かされれば音楽で人の心を動かせる「ギタリスト」。卒業の時、10年後何の自分は何をしているか、カセットテープに向かって吹き込まされた時には「ギタリストになるために留学をしている」と、大きく出たなーと思いつつのたまった自分。

現実は親が熱心なわけでもなく、ただの子供の習い事にすぎない気まぐれな練習態度だったのに、担任の先生は「佐藤、お前は夢を持っているよな。」と言ってくださった。

先生は当時28歳の男性。熱血教師で教科全般、体育から絵画までも情熱を持って指導していたと思います。独特のひどいくせ字でびっしり綴った月報を発行したり。だからこそと言うか、今となっては大問題の体罰も普通に・・・私も10cmくらいの厚さの原稿用紙の束で頭を叩かれたことが。教室にはフォークギターが置いてあって、給食後の休憩時間にたまーに爪弾いていたり。煙草とサングラスのイメージも。おおらかな昭和の教育現場です。

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ある日そのフォークギターを差し出され、弾けと。クラスメートの前でいきなり「禁じられた遊び」を弾きましたが今と違い緊張もせず楽しく弾きました。そのあと先生はクラスの合唱で私を指揮者に抜擢(!)

先生は今どうされているのか、とっくに連絡手段もなく知り得ませんが、あのカセットテープまだあるのかな。
留学はしなかったけど、曲がりなりにも演奏活動しているのを知ってほしいささやかな希望はあります。当時28才だから17才の年の差?あらウチのダンナさんと同じだ・・・!

この先生を思い出すといつも「ぼくの先生はフィーバー」のメロディーが頭に浮かんできて今日も YouTube で繰り返し懐かし映像を観てしまいました。
煙草のヤニの印象が強くて、「レモンの匂い」の「さわやかな」先生では、決してなかったのですが。

 

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