攻めの気持ちで
5月頃から本格的に練習を始めたアグアド作曲の「序奏とロンド Op.2 No.2」、録音してみました。弾いている時と、客観的に聴く、このギャップは何でしょう!!全然ダメ・・・
今回はちょっと時期的に、録音チェックが遅くなりました。
2分半弱の「序奏」を、録音しては聴き、消去し、を繰り返すこと2時間。やっと「まぁなんとか」というレベルになってきましたが。。
続く「ロンド」は約7分で、YouTube でヴィルトゥオーゾっぷりを発揮している人たち並みのタイムではあるけれど、なんか私のもっさりしている。ダメダメダメダメ・・・
で、今日の練習の最後、指がもつれても、ミスしてもいいから「攻めの気持ちで」、弾ききる!目標でやってみました。
その録音再生してみると、指、もつれているけど、全体の流れはまぁ良し。
(追記:テクニックの問題というよりは表現上の迷いがそこかしこにあったことがダメな原因だったと思う)
こういう曲、優しい人には向かないかな?竹で割ったような性格?とか男っぽい性格とか・・・とにかく恐れることなく、攻め込んでいく気持ちで弾かないと絶対だめな曲だと思います。もちろんそれ以前にテクニックがちゃんとしてないといけませんが…。
以前の記事「序奏とロンドとベトナムの女性ギタリスト」で曲を紹介していますが、この彼女も相当に強気な一面をお持ちではと想像します。
ところで不思議なのは、話しているとどうも、録音とかしないらしいギタリストもいるようです。
それであの歌心すごいな、と私は思ったりしますが、普通は自分で弾くのと聴くのではギャップがあるものです。あのマルシンディラも言っていました、録音チェックは欠かせません。
修正、間に合うかな~!やっぱり、悪夢はお告げだったのかしら。。。。。。
コメント6件
おおっと!アクセントを押さえるのであって、抑えるのではなかった。変換に気がつかなかった。要を押さえる、という意味で。お恥ずかしい。
アクセントだらけという真澄ちゃんの言葉で思い出す個人的なつぶやきで申し訳ないが、ピアノにかなり集中していた博士号時代(試験前に本棚の整理を始めるのと変わりないがな。。。)、私もよく自分の演奏は録音していた。で、すぐに耳障りと知ったのが、アクセントの多さ(しかもあるべきはずのないものまで)。タッチが滑らかになりきるまで、弾いては録音を繰り返したものだ。こうしてみると、懐かしいというか、(ほぼ)誰でもするという事実に、不思議な親近感を覚えるというか。
夫様はつくづく、真澄ちゃんのギターの力強い参謀なのだねえ。
えええ大事なことがあると他のことをするのは人間の共通の性ではないのか。でも私はラストスパートは(ラストしかない)すごいよ。青学最後のゼミ(小)論文も、1日半で書いた。
何か、バッハを聴いている気分というのか、音が何重にもなって綴られているのだね。これは余程のテクニックが必要だろうと、素人にも分かる。同時に、ギターという楽器の能力を思い切り引き出した曲のような気もする(しつこいようですが素人なので)。柔らかなタッチに対する攻めという表現にいまいちピンとこなかったが、英詩のようだと考えれば良いのかしら。これも素人ですまんが、英詩はアクセントごとで一拍だということで、朗読ではアクセントを抑えるのが重要らしい。
素人批評はここまでで、ところで、「9月のコンサートで弾く楽曲はもう決めているので、そのあと取り組めるように少しずつ進めていきましょう。」とありましたが、今録音だ何だと急いでいるということは?