シネマと個展
土曜日、午前中のレッスンのあと夫と合流してミニシアターで映画(邦画)を見てきました。すっごく笑えて、泣けて、有名俳優も出演しているしロケも魅力的で、メジャーな映画館で上映されて何の不思議もないと思うのですが、全国の小劇場を転々と年月をかけて上映していく「スローシネマ方式」という手法があるようですね。帰ってからネットで知りました。今回観た北海道と宮城の松島を舞台にした「じんじん」という映画も、2013年に公開後、47都道府県の市町村で上映され30万人を動員しているそうです。
私も知らずに、たまたま大塚にあるミニシアターのプレオープニングイベントに関わっている方のつてで集客に苦労していると聞き、見に行ったのですが(みなおたがいさまという訳ではありませんが。)上映後、監督と役者さんの一人が出てきて語られた製作話も興味深く聞きました。
映画といえば夫が見たい映画に付き合うばかり。バットマン、スパイダーマン、スーパーマン、ハリーポッター、エックスメン、パイレーツオブカリビアン、ターミネーター、スター・ウォーズ・・今思い出す限りざっとこんな感じ。私一人ではわざわざ見に行かないジャンルです(笑)。
スローシネマは音楽ならライブハウス方式みたいな感じでしょうか。とにかく、またもう一回観直してもいいと思える映画でした。魅力的な風景を、役者たちの表情を。
ところで私は、昔も今も、自分以外の誰かがいる場所で、映画やドラマを観ながら涙を流すのが恥ずかしいので懸命に堪えるのですが、音楽が、バックミュージックが、これでもかこれでもかというほどに涙を誘おうと盛り上げてくるのは、困る。乗せられるまいと余計に頑張る。お話だけで気持ち的には十分泣けてるんだからいいじゃん。もうやめてぇ・・となります。
その後、大塚から巣鴨方面へ。じつは、山手線の北半分って私にとっては世知辛い思い出エリアです。○○駅前の○○大学に落ちた・○○駅のブラックな企業で働いて円形脱毛症が出た・・等々、この区間を乗るとその時の気持ちを思い出さないことはない・・まあ、それらを笑い話にできるくらいの余裕は今はありますけれども。
観光地のような風情の地蔵通り商店街をぷらぷら歩きながら、この辺で一杯飲むのもいいだろうな、なんならハシゴでも・・・と思いながら地下鉄の駅へ。
12月に“妖精が遺していった” ミニコンサートでもお世話になっている好文画廊へ、絵と書の個展を鑑賞に行きました。
松山さんと飲み友だった、現在83才の吉澤さん。私が今まで出会った年上女性の中で一番パワフルで豪快な方。絵は50年以上やってきて自分は画家であり、書は趣味だと言い切る。とくに書は趣味にするには時間もお金も体力もかかりすぎる上に、絵と違って型を守らねばならない。それでみんなすぐやめちゃうけど、自分は子どもを作らなかったし時間がいっぱいあったから好きな事に没頭してこられた。そのかわりすごく努力もした。けど同じようにやれば誰だってこれくらいできるんだよ、と。
誤解なきよう。子がいたらこうはできない、と主張したいのではない事は明らかで、好きな人生を送れているからこその言葉ではないかと思います。すごく努力したという言葉には、(私そこまでやってる?という点で)少々怯みますが。でも映画館で涙を流すことと同じくらい、自分を卑下することはしたくない。人と比べるべくもない自分だけの人生を。…あ、この最後の辺書くのってなんか難しーい。100%書けてない。流してくださ〜い!^^
盛りだくさんの土曜日でしたね。報告だけではなく、真澄ちゃんの内面的なことまで触れてあるのがブログという形式の面白いところかな。(ちなみに私は落ちた大学の駅なんてまるで覚えてない。)
こじんまりとしたものは、私も好きです。マイナー路線というのかしら。
人生で何でもかんでも全てできる人はいないわけで、誰しも彼しもそこここで選択をしてきているわけだ。皆が同じものを(別のものでも良いが)目指して同じような努力をすれば皆同じ段階に辿り着く(かも)しれない。が、目指すものが一つだけの人もいれば、目標が特になく、努力もしない人もいる。誰が正しく誰が間違っているわけでもない。人それぞれで、それじゃなかったら人が何人もいる必要はないよね。アメーバーのままでよかったわけだ。吉澤さんの言葉は、謙遜であり純粋な実感でもあるのかと。(ちなみに、子がいたら、できることは相当に限られてくるのは、これも単なる真実である)。