現場or管理職?
現場とは。顧客と接する仕事。裾野に接する仕事。
管理職とは。肩書がついて、従業員を指揮命令する側の人間になること。
だいたいこんな感じ?一般企業を想定してですが。
これを私が関わってるギターの世界に当てはめると。
現場:ギターを教えること。裾野を広げること。
管理職:ギターの何らかの団体で理事などになったり、その団体が主催するコンク―ルなどで審査員先生となったりする。
大雑把ですがこんな構図があるものと思います。
さて私は、どちらになりたいか?
それは現場側です。
肩書きなんていらなーーい。
「先生」と呼ばれるのは習いに来てくれている生徒さんからだけで十分です。
その団体に加入すれば、コンクールの審査員にもなれると言われたことがあります。
私はコンクールを経てきてもいないのに、その代わりになるようなキャリアもあるわけじゃあないのに、自分が人を審査するというのは今は考えられない。
と答えた記憶が。
しかも、審査員なんてするようになったら、周りは私のことをそういう目で見るようになる。知らない人からも「先生」と呼ばれ、気を遣われる立場になる。それは、自分の演奏力とは無関係に。
そんな立場に今の私がなることはできない。
私自身はやはり遅れてきた人間という意識が拭えないので。若い人たちと張り合う訳じゃないけれど、いい年して自分のことだけで精いっぱいなのだ。ギターがもっと上手くなりたい。それには、実力に色をつけるような肩書きアレコレは持ちたくないのです。
いつか実力と肩書きが釣り合うようになれたならそれもいいかも~だけど。
私は今、ギターを教えるのが楽しいし、自分もまだ上を上を見ていたい。
世の中、人手不足時代だけど・・それとはちょっと違うよね?
コメント4件
審査員は、昇段試験のです。だから、あくまでフランスでしか通用しない。そして、三人(のはず)一組で審査するとはいえ、人情の入る余地はある。
試合の審判は、もちろん資格があってのもので(私は、ごく低レベル、いや、中レベルのかな、の審判ができる資格を持っているはずなのだが、ペーパーもいいとこ)、当然、レベルが上がるにつれて、資格取得に求められるものも厳しくなる。これは、衆目の前ということがあり(ビデオとかもね)、公正なもの。のはず。
柔道では、審査員になるのには正式な免状が要りますが、ギター(音楽の世界?)では違うのかな。ピアノでも、大して知識のない人がやっているとか聞いたかも。
私の友達の柔道の先生(複数)は、こうして免状を取得し、閉鎖的な世界を刷新するぞ!と意気込んで、程なくしてやめました。
やはり審査員になると、何か錯覚して初心を忘れてしまう人が結構いるらしい。全員ではないけれどね。これはきっとどこの世界の管理職でも同じ。
向き不向きかなあ。いつまでも正しい目を持ち続ける管理職。管理職の世界では生きていけないと思う人。管理職精神にどっぷり浸かってしまう人。