松山文人さん
松山文人さんが14日、難病(急性骨髄性白血病)で53才の若さで急逝されました。
そのたった2週間前には、私のジョイントコンサートに仕事後に駆けつけてくれたというのに。
松山さんは私が新米講師としてスタートした時、体験レッスンを見学させてくれるなど大変お世話になってきた方。
どこか小さな会場でコンサートするつもりで共演をお願いしたら、思いがけず松山門下の協力を得て大がかりなすみだトリフォニーホールでのジョイントリサイタル(2016)となって、私には大きな転機でした。
今使用のギターとめぐり逢ったのも松山さんの音を聴いたおかげ。
私のギター人生における恩人の一人であります。
1年近くの準備期間中、度重なる練習やリハで一緒に一つの目標に向かい、先輩ではありますが仲間感覚となっていき。
そんな本番を目前に控えたある日の練習後、松山さんが「ぼくの聖地」と称するカラオケ居酒屋に連れて行ってもらい、歌声を聞いて私は、その歌、アンコールで弾き語りしてください、と半ば強引に決行。ご自身は最後まで、クラシックのコンサートなのにやってもいいものかという迷いがあったようですが、伸びやかな声をホールいっぱいに響かせ、歌い終わって幸せそうだった、松山さん。
コンサートが終わってしばらくして、呑み屋のカウンターで「あのね、いつか東京文化会館で弾きたいって(スタッフに)言ってあるの。だから、それぞれそれまで頑張って、その時はまた一緒に」と言って下さったことが、思い出されます。。
息を引き取る日の前の夕、ICUでの面会が叶い「発表会と好文画廊。年内はちょっと演奏できそうにないので、お願いします」との言葉・・・遺言となってしまいました。
今週末に迫った発表会。松山さんがアンコールで弾き語りし私が伴奏した、さだまさしの《驛舎》を講師演奏で弾こうかと思ったけれど。
あのメロディー、いや前奏を思い出すだけで、まざまざと あの5月の風が吹くような感覚までもが蘇ってきて とてもまともに弾けそうにありません。
追悼の機会などあればその時にしましょう。
ご冥福をお祈りします。
追記:
松山さんは妖精のような人だな…
と、ふと思うことが度々ありました。なんでそう思ったのか、ちょっと思い出し難いのですが。
2018.1.20
松山さんのコンサートでのアンコール弾き語り動画を公開しました。⇨ こちら
2019.9.8
講師仲間、スティーブンさんから思い出の写真を送っていただきました。
ありがとうございました。
2019.10.14
松山さんの3回忌。故人かつての行きつけのお店に仲間が集い、偲ぶ会を催しました。
下の写真は2007年の松山さんの誕生日。このお店の女将さんが私達の思い出にと、わざわざプリントしておいて下さいました。
コメント10件
松山さんは楽しい音楽家の生活が出来ました。
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元気です。久し振りですから、真澄さんのメールアドレスが分からないんですが、私のは
@gmail.com
初めまして。松山さんの中学の同級生だった武内と申します。私が大学院生の時に夏休みに富山の実家に帰って塾のバイトをしていた時に偶然再会して飲みに行ったきりだったのですが、その時ギターを弾いていて東京の楽器店でお仕事されていることなど伺いました。飲みに行く約束をして塾の建物の前で待っていてくださった時に、なんというか「ゲゲゲの鬼太郎」のような格好だなあ・・・と思ったことがずっと印象に残っていて、こちらのブログでは「妖精のような人」と書いていらっしゃったので、ちょっと不思議な感じがしました。彼は東京のご出身だったのですね。
先日実家で片付けをしていて、昔の手紙類の中に松山さんの手紙があったのを見つけたものですから、昨日の朝何気に彼の名前を検索したら、こちらのブログで彼が亡くなっていたことを知り、不躾とは思いながらコメントしてしまいました。長々と失礼いたしました。
アンコールで弾き語りしてください、と強引に説得した真澄ちゃんの姿が目に浮かびます。
心底信頼出来る師匠なり先輩なりを持つことは、人生で一番素晴らしいことの一つだと思うけれど、あとを任せられる弟子なり後輩なりがいることは、ひょっとしたら、さらに大きな幸せなのかも知れない。
松山さんは後顧の憂なしに安らかだと思うよ。私は。