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2017-12-15

妖精が残していったもの

12/13 好文画廊(日本橋 浜町)での演奏会。
今回は、もと松山門下のベテラン域の2人に加えて、まだギターを持って2年半の、私の生徒のひとりにも参加してもらい計4名での演奏会となりました。

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教室の発表会以外の場で、初めて15分のプログラムに暗譜で挑んだ生徒Mさん。

プログラム

私は古典の大曲の前に、鐘の音を想わせる佐藤弘和さんの小品「カリヨン」でスタート

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もとはと言えば、故 松山文人さんが演奏機会の少ない門下生たちのために毎年行っていたのですが、ジョイントコンサートをきっかけに2年前に私も初めて加わり一緒に演奏させていただきました。

絵に囲まれて弾くことの、なんともいえない心地よさ。クラシックギターにとっては響きも良い空間です。

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今回は10月に急逝された松山さんの遺言となってしまった、託された演奏会。
昨年までは松山さんが締めてくれるからと、自分の演奏だけ考えていればよかったのが、冷静に全体を見てお客さんを楽しませなければという姿勢に、急になってきた自分↑。選曲も、果たしてこれで良かっただろうか?と。

ところで、松山文人さん の頁で最後に、妖精のような方だった、と付け足して書きました。

その後ギター誌に追悼文の寄稿を依頼され、なぜに妖精のようだなんて思いついたのかを時に考えていたのです。

こうしたささやかな演奏会でさえ私の意識が変わり、この後この機会が存続できるかまだわからない(私たちサイドの働きかけ次第)のですが、松山さんはもちろん意図などしたはずはなく、でも紛れもなく私たちにとって「残してくれたもの」ではないかと思う今。

以上は私の勝手な解釈かもしれませんが、よくある妖精のイメージっていえば片手に魔法のバトンを持って、キラリんと光るものを残して去っていく、あれです。
追悼文にも書いた言葉ですが「幸せをもたらして、静かに去っていった」ようにしか思えない、やっぱり妖精のような人だったと。

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終演後、聴いてくださっていた絵の出展者の方々など総勢6名で打ち上げに行きました。
携わっているものは絵と音楽という違いはあっても、表現する者同士の話として共感するところが多い、しかも絵にとどまらない、話は写真、ダンス、フランス へと広がっていき。

また真夜中の更新につき、あとで少し文章直すかもしれません。

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コメント2件

  • みおう より:

    妖精ですか。私のイメージは、ティンカーベル、鈴のような声を持つあれかな。鈴ではなくてギターを鳴らす妖精が、魔法の粉を撒いて、皆を導いていく。そして気がつくと、自分のことだけではなく、全体的な視点を持てるように成長するべく誘われている。

    お疲れ様でした。

    • masuminn より:

      そうそう、ティンカーベル。キラリンは魔法の粉かぁ。まとめてくれて、ありがとう。

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