ギターの音って本来こういうもの、だったよな。
きのう日曜日、ノエル ビリングスリーさんのコンサートに行ってきました。私のまわりでは誰もが演奏を絶賛しているので一度聴いてみたいと思う反面、またすごい人が出てきたんだ、聴いてショックを受けるのが怖いと思う私。動画も公開されていたけど私は一切観ないで聴かないで足を運びました。それで良かったです。
ギターファンにとっておなじみの曲も、p やpp を美しく響かせ、作品の背景に「心」を寄せている演奏と感じました。が音色に拘るとともすればまどろっこしくなる(と私が感じた事がある)、けれどそれとも違った。テクニック全開の場面も心を忘れないというか。イギリスと日本のハーフという容貌に、ネイティブの日本語で真摯なトーク。弾きながら時折客席に語りかけるように投げかけられる視線。(ああすごい、こんなこと私は怖くてできない!色々な意味で…)
きっとこれからファンを一層広げていかれることと思います。
いやあ私、正直一ギター弾きとしてはショックでありますよ。でもこういう方が日本を代表するクラシックギターの魅力の伝道者となるなら応援したい人も増えるでしょう。それは良い事。
そう、タイトルの話。ギターはもともと音量が小さい楽器。それを受け入れ無理なくつま弾いた時に鳴る素朴で温かい音そのものが魅力なはず。そんな音に惹かれて、というのが特に大人になってギターを始める方には多いわけです。それをまた思い出させられた。
私など男性と比べられ音が小さいと言われれば、悔しくてついつい一生懸命音を鳴らそうとするのだけど、違うんだよね… 心を伝えるために、小さい音が必要であり、大きな音も必要なんだということ…
その時心を忘れているつもりはないけど、本当に作品に寄り添っているか。共感しているか・・。傲慢になってはいないか。演奏には性格(人間性)が出るとはよく言われます。性格は違って当たり前だから演奏も違って当然なんだけど、その人間性とは、常に勉強していろいろな事(美、知、教養、技)を知って見て磨かれていくべきで、その先に個人の独自性が生まれてくるのだろうと。注目されない終わりのない勉強を続ける先(やその途中)に。自分のいまだ未熟さに毎度ゲンナリするのだけども、何かをやっている人は皆そうだろう。若くして現役を引退するアスリートとてその後の長い人生を何かしながら生きるだろうし。
と言ってもあまりにあくせくすると何もやりたくなくなる時が訪れるのは私だけではない?…常に走り続けられる人もいるのでしょうが…そんなときは世の中には陰と陽、光があるから闇があるというようなバランスがあって、一人の人間の中でもバランスを保つことで成り立っているのだから仕方ない、と思うことにしています。
ちょっと話広げすぎました。
春の黄色のフォトシリーズその3:::::::::::::::::::
原点が真髄かしらね。
あとは、真澄ちゃんが核心をうまく(広げつつ)語っているので、特なるコメントはなし。
(でも、ホタテバターレモンパスタは美しいわ。神髄。)