見習って・・
サイゴンギターフェスティバル第二夜の昨晩は、我らが日本代表 渋谷環さんのコンサートでした。
いやいや、圧巻の演奏。ミスもなく完璧。
ベトナム人の聴衆も大きな拍手を送っていました。ある方は gracefully でenergetic と評していましたがまさに優美さとエネルギッシュが両立した演奏だったと思います。
あとでお話を伺うと、弾いていてとっても楽しかったとのこと。
まだまだベトナム、マナーのよくない聴衆も多く最前列で平気で席を立っては戻って来たり、フラッシュを光らせながらずっとスマホを奏者に向け動画を撮影していたり(これも最前列で)したそうで、それらを目に入らぬよう、楽しく弾こう〜!と、やり過ごしたそう。
そんな環境での完璧な演奏。つわもの、といってもいいかな。私はとてもとてもその域には程遠いです。実力あってこそのなせる技かと。真の演奏家です。
そんな渋谷さん、今朝おはようございますの挨拶を交わした時、はっ…と私はまるで孤独な闘いに臨み、見事勝利し生還、醒めやらぬ高揚感の夜から一晩明けてやっと普通の優しい女性に戻ったかのような女の生きざまを、この数時間のうちに見たようだ、と思いました。それは、ど迫力ものでした。
今夜、私は同行の渡邊さん、望月さんとベトナム人ギタリストとのフレンドシップコンサートに出ます。
昨晩は私、一瞬、戦意喪失しました、正直。渋谷さんの凄みに圧倒されて、私など演奏をもうやめてもいいかも、と思いました。
(戦意って、演奏へのです。渋谷さんに対する、では勿論なく笑。はい、演奏への道のりは自分との闘いです。)
しかし。やめて、自分なりのこれまで積み上げてきたものを、無かったことにしてもいいのか?
今持てる力の範囲での最高を発揮するしかないよね…
すごい人だって大変なことを超えて、今があるのだ。
私はあんな演奏は出来ません(キッパリ)。持ち味とかそういうレベルの話ではなくて。キャリア、来し方が私とはまるで違う、、が、昨日のあの生きざまを目の当たりにして、見習うことはできるよね…勇気をもらったと今は思えるよね…
スマホ電源切って家からの連絡もシャットアウトして集中しようと思ったけど、結局練習中断してこんなの書いてる私。ってダメ?
そうか、生き様か。
芸術の極はそこにあるのかもね。自分の全てを、まさに大輪の芍薬のように、そこに凝縮させる。何を見せるかだけではない、如何に見せるか。
「今持てる力の範囲での最高を発揮」するということは、小さくとも一輪、花が美しく誇らかに咲くということだ。
頑張れ、真澄ちゃん。