12月のある日
12月。華やかで心浮き立つ月ですね。自分の誕生月でもあるので尚更です。
このところ日常の家事、レッスン、ベトナムのレポート編集(そのうち現代ギター誌に掲載されます)、練習などこなしながら色々な思いが錯綜しておりました。
ここ何年か出ている、演奏中に必ず考えてしまい歌(音楽が流れるという意味合いです)がストップしてしまう嫌な癖。結局は集中が出来ていない、ということなのでしょうが。
ホーチミンでもやらかして、もういい加減人前で弾くのが嫌になっていたところ。コンサートも断ろうかと思っていたところ。
ハノイで本番中、もう自分はその問題に関しては大丈夫なんじゃないか、と弾きながらフと思えたんです。考えてしまうことを、もう恐れなくていいのではと。
その翌日の演奏でも、先週の発表会の講師演奏でも悪い癖は出ずに終えられました。止まらないための練習というのもあるけれどそれと別に、やはり演奏に集中できていたという実感がありました。
といっても実はこの時、小さなお子さんのぐずり声が客席でずっとしていて、特に静寂の部分を弾いている時は集中が削がれそうになるのをグッと持ち堪えていたのですが…
(聴いていた方から後で、雑音に負けまいと逆に集中しているようにも見えたと言われました)
そういえば本番中に外で夕方5時のチャイムが鳴ったこともあったな。。最近けっこう逆境が多いかも。でもそんな時、一流のプロだったら絶対何もないが如く平然と弾くよな…と、私も意地で踏ん張るわけです。全ては自分のために起こっている、意味のあること。ありがとう、と。
一つまた壁を越えられたのであれば良いのですが…
人の心を掴む演奏には、まだまだ。
心を込めて演奏すること、真剣な姿勢、音楽は国境を越えて人と人を結ぶ力があると改めて学んだ、とは今回ベトナムでご一緒した渋谷さんの言葉で印象的なのですが、
当たり前のようでいて、それを演奏で実践することの難しさを今更ながら思います。
あと、やはり何度もステージに上げてこそ、こなれていく曲もあるなあと。そういう意味では「セビーリャ」、やり甲斐がある曲です。10年前は(コンサートじゃないけど人前で)これ弾いて大コケしましたから。まだ途上ですが私の中では手応えがあるのです。
演奏は、長い道のりです。私には。
一度うまくいったからといって、同じようには二度とならないし。
30代の頃、先生から「若さも華も無くなった時、ちゃんと弾けていてほしい。」と言われた時、何てことを!言うのだ。と思ったのを覚えていますが、いやー、今ではその意味が判りつつあります。(苦笑)
実力派ギタリストたれ、という願いだったのだと。
恒例の画廊演奏、今年も行います。↓↓
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