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2020-01-30

ルイや

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夫が「神保町に猫書店があるんだって」と何かで見つけて言うのでまた土曜午後、レッスン終了後に待ち合わせて一緒に行ってみました。

神保町交差点のすぐそばにあって、通らない側なので今まで全然知らなかったのですが、外から見た感じはどこにでもある昔の町の書店。でも、猫に関する本への特化ぶりは店内に一歩足を踏み入れれば分かりました。

ワクワク迷いながら購入した4冊のうち、私が選んだのは内田 百閒の「ノラや」。昭和32年に失踪した飼い猫のノラを待つ心情を旧仮名遣いで日記形式で記したものです。

あとでAmazonのレビューを見たら「猫好きには文豪の気持ちが痛いほどわかるが、猫嫌いにはアホかと思われる」というのがあって笑ってしまったけれど、まさにその通りだと思う。

先日の低気圧の寒い日、一気に読了しました(私は読書スピードは遅いほうだと思いますが)。

以前、にゃんそろじーという、猫が出てくる日本文学短編ばかりを収録した本の中に百閒先生の「クルやお前か」というのが入っていていたく感銘を受けたのですが、その「クル」の先住猫が「ノラ」であり、ようやく私の中で話が繋がったのでした。

クル短編も十分に猫飼いの心情が書かれていて良かったですが、ノラからのことを知るとより一層、猫という生きものの不思議があるのだというような気がしてきます。

夢中で読んでいる私の顔を、気が付くとうちのルイがジーッと見ていたりして。

私はルイを撫で、顔をくっ付けてすりすりして、また本に目を戻します。

猫には人間の与り知らぬ猫社会というのがあって出掛けて行ったのだとか、昼寝中の猫を撫で話しかけると、指の間をぎゅーっと広げて反応するがその間目は開けない。とか、妻が猫を抱いて猫の名を歌うように歩き回っているのを、合点のいかない顔をしてこっちを見ているのが可愛い・・・など。

猫飼いあるある、です。また、

野良猫から生まれた駄猫であるが、何万円で売られている高級猫には興味がない。駄猫であろうと、この猫でなければならないのだ。どんな珍しい猫も、この猫の代わりにはならない。

まさにその通り。百閒先生は自分ちの猫にそこまでの愛情を持ちながら、「猫好き」ではないと文中で断言している。たまたまやって来て、当たり前のように夫婦の日常に入り込んできただけだと。

私もそれに近いかと。

人の飼い猫も、動画やテレビで見る猫も岩合さんの写真も、美猫もブサ猫もみんな可愛いと思うし多頭飼いもいいだろうなと思う。じゃあそうするかっていうと、ノー。

ルイだけ、ルイが一番の幸せを感じてくれるように猫を飼いたいと思っている。

いつかルイがいなくなった時は、人の与り知らない猫の社会が何らかの形で私に癒しをくれるだろうと、今からダメージ予防的に楽観的に思うようにしている。

ノラ失踪が昭和32年。でも百閒先生は45年に他界されているそうですから、遠くないうちにあの世でまた猫たちに再会できたのではと。

ギターもさわらずジムもさぼり、仕事にも世間にもなんにも役立たないであろう読書にかまけた寒い低気圧の1日だったけれど、悟りは少し進んだみたい。

「ルイや」

「ルイや」

 

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