独身日記
探し物をしていたら、謎のCDケースを発見。中を見ると独身の頃の日記だった。
パラパラめくっていくと、紙の上に日々、心の中の本音をぶち撒けていたのだなー、というのがわかる。毒を吐いてる日も結構ある。精神不安定にならないよう、懸命に保っていたようにも見える。今では笑えるのだが。
たとえば 2005年。初めて自分のフルコンサートを企画した時。本番数日前からナーバスになっている。
9月30日(金)
早めに出社。メールを開けると 40件くらい入っていて もう朝一番 ウンザリ。
いろいろ入ってきて、やりたい仕事ができん‼︎
8じころまで ひっしで 気持ちを落ちつかせながらやった。
パニックになってはいけない。
追い詰められてはいけない。
いじわるな エラソーな エレーヌとかいう香港のやつからのメールにも、「なにいってんだ、しらねーよ」と思ってやりすごす。
とにかく. 最高の精神で1週間後の日をむかえなければ。
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そしてコンサートの前日。
10月6日(木)
午前中ちょっとギターを弾くが かえって不安になるのでやめ。
銀行で明日のお釣りを用意したりして、1時から OLD ENGLAND のセールへ 恵比寿へ向かう。
ステッチがきいたコットンのジャケットと ピンクの半袖のニットをみつけてさっと帰る。
帰ってきても なんかとっても ブルー。
けいたいに さおりから「明日行くよ」メールがきて ありがたいけど ブルー。
再び自転車にまたがり、有楽町へいく。まずは、ランコムで 明日の衣しょうに合いそうな口紅を選んでもらう。店員さんにまで初リサイタルの話をし、がんばって下さいと言われる。
その後ビックカメラで 録音用のマイクとMD10枚パックをかうと なんと 50人にひとりタダ に当たる。鐘をおもいきり ハデに鳴らされたとたん、さっきまでのブルーはふっとぶ。
良い方(高い方)のマイクにして良かった。
そして、有楽町まではるばるやって来てよかった。
きっとあしたもラッキー。
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うーん、思い出す。笑える。で、コンサート当日(7日)と、翌日は。
10月7日(金)
すいみん不足がつづいていた分、あさ、10時半頃まで眠る。
さすがに用意もしてなかったから、少しあせる。
昼頃 静岡の中ちゃんやたまきからメールが入る。もう きのうのようなブルーではない。もう ぶつかって行こう!というかんじ。
10月8日(土)
夜中ずっとハイで眠れず
昼、大量にパスタをゆでてたべたあと夕方まで眠った。 やっとおちついた、夜。
さいとうさんからメールでコメントと さっそく写真が送られていた。
きのうの演奏後の人々の反応のようすと、メールで送られてくるコメントと、
冷静に分析をはじめる。真実の。
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この後、反省と、通勤の日常。派遣の仕事はちょっと理不尽なことがあり、別部署への異動を打診されていた。年末でもあり、専業主婦の友人と会ったのだろう。
12月27日
新しい部署の方と 顔合わせてトントンと決まってしまったけれど、自信ないなぁーこんどの仕事。大丈夫?私。
すごーくつかれて 7:30なのに 横になて 新聞の集金もムシして眠ってしまった。
でも夜中に目がさめたあとは ズーッとねむれず 久々に「ラジオ深夜便」をきく。
そしたら おもしろい ラジオドラマがやっていた。
踊りの師匠が、若い弟子に、「芸事をきわめようと思ったら、男に食べさせてもらおうなんて思っちゃいけないよ」と。「あたしゃ 沢山の男をしっているけれど、借りは一銭もないよ。もちろん 気持ちの上でだよ。」
ただし、年老いた独り身の女が酔っ払っている姿ほど かなしいものはない とも話していた。
そぉかー。そういう婆さんにはならないようにしよう。独りでも、きちんと、きれいに暮らしてる 品のある婆さんになろう。
12月28日(水)
会う度に、話の感覚がズレていく友達がいる。
まったく、話していて手応えを得られないと、早く帰りたくなってしまう。
きっと、私がいろいろやってんのが面白くないのだろう。
ぜひ精進して、と期待してくれる人がいる一方で、
いまだに、結婚やら恋人をつくらないやらを、「もったいない」とか言う・・・もう、
うざすぎ💢
皆、それぞれ選んだ道じゃん!
だんなさんに食べさせてもらって、子供育てるのもひとつの道。
まぁ、何かに頼ってはいるでしょうけど、その人生。
もう 話をすればするほどかみ合わない。
エッ?という反応が返ってくるので、もう世間とかくぜつされた主婦はヤダヨ。
ごめんね。ひどい言い方だ。
ほんと平和に生きてるんだろうな。マイペースに磨きがかかってるよ。
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一人で生きていくことを視野に入れ、中古マンションも買ったりしていた頃の私。気張ってるんです。
で、年改め2006年。
3月28日(火)
A宮殿の主が 二重奏をやろうだって!誰と?
調子にのるな。むろん断った。
はぁ〜っ。私 いつまでこんなんなの。
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A宮殿の主・・誰のことかしばらく思い出せなかった。傲慢で失礼です。が、今となっては大笑い…すみません。
日記は2009年まで。以来、付けていない。
日々起こったことでも何でもかんでも、話せる相手(夫)がいるから。年を重ね、少しは人生を悟り始めたっていうのもあるが、わだかまりを溜めず、心穏やかに暮らせることに感謝しなくてはいけない。
コメント10件
正直いいますと、私ですと、ご主人の奥さんはやってられないですー。
6歳の男の子、と言いながら、真澄さんは、上手にやっておられる、と、FB
見ながら感心してますよ。
ルイちゃんは、意外と、お母さんの仇ー、とかいって、ご主人の腕をカジカジしてるかもよ。
ルイちゃんもユキも、大切な存在ですね。
追伸 そう言えば、相手を自分と同類にしさくみむたい人って、結構いますよね。
そういうのも、私、苦手というか、面倒くさいです。
あはは。FB上だけでも、なんとなく、この人合わなそう、とかありますよね。まあうちの6歳の坊や、言いたい放題ですが大目に見てください。
犬猫は本当に面白いですね。これが、もし人の言葉を喋ったら、ただの可愛いだけではいかないでしょうけど。なんか分かってくれてる気がする、と思えるのが動物の存在の有難いところですね。
> 相手を自分と同類にし
お願いだから、一緒にしないで〜という感じですね。
ハーイ♀️
ご主人は、最近、随分変わられた、と思っていますよ。
真澄さんの、影響だと思い、感心して見てますよ。
ごめんなさい、また、入力ミスです。
ハーイ、のつもりでした。
あー、やっぱり、歳ですう。
私も四歳か五歳の頃から(強制で)付け始めた日記を、今だにつけているよ。人生前半期のは両親宅。2000年くらいからかはコンピュータなので、見つけるのは簡単。たまに、記憶確認とかの役にたっている。
が、日記は、読み返すためではなく、一日の整理なんだよね。適当に積み上げられたものを引き出しに収めて、閉めたらもう後は基本的に考えない。もしくは、自分でももてあます感情を客観的に見直せる。これはもう私の人生の一部だから、一生続けるだろうなあ。
ちなみに自分の現実の机は、大抵ぐちゃぐちゃ。怪獣も協力してくれるし。
4、5才から、というのはすごいね。親の方針とはいえ。それが今人生の一部になっているのだから。
書くことで考えが整理できるというのは、あるよね。私も今はブログがそうかな。
何年も経って読み返してみるとちょっと面白いけど、たしかに読み返すためのものでもなく、私もすぐに蓋をしたけれど。
死ぬ間際に読むか。未央ちゃんのは娘ちゃんたちが読むか。
真澄さんが独身の時に音楽と向き合いながら、一方でお友達との葛藤やら、とても興味深く読ませて頂きました。でも、いまは、なんでも聞いて下さるご主人様がおられるのは、ホント、お幸せなことですよ。
ひどい表現なんだけど、私も、ただ平和に暮らしている専業主婦の人は避けています。
悪気はなくても、平気で人をチクチク傷つけるのは、大抵、平和に暮らしているだけの主婦が多いです。
最近、震度3ぐらいの地震が朝方あったのですが、私はゼンゼン知らずに寝ていました。 で、その話をした時、セレブな友人に 「あー、地震があっても気が付かずに寝ていれるようだから、アンタ、1人で居れれんだねー」 って言われて、すっごい
いやな気分になったことがあります。
そんな事、それこそアンタなんかに言われる筋合いはなーい! でしょ。
そんな時、話を聞いてくれる人が居るのと居ないとでは、随分違いがあると思います。
仕方ない私は、ユキ、ユキ、ちょっと聞いてー、でベタベタユキに触っては、解消してますけど。