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2022-06-13

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土曜日、母が逝去しました。

レッスン直前でドタキャンしました生徒さん方にはご迷惑をおかけしました。

いつも朝8時ぴったりにかかってくる、実家の母との日課の“生存確認”の電話が、2分過ぎても、3分過ぎてもかかってこない。心配になってかけても、出ない。やばい。

弟に連絡したりしてるうち、母から折り返しが。と思ったら、腎不全末期の尿毒症による呼吸困難が始まっていた。

私が救急車を手配、その夜、病院で最期を迎えました。

酸素吸入器越しに、意識があるうちの最後の母との会話は出来ました。とても苦しそうなのに、キャッシュカードの暗証番号。それから、毎朝の電話楽しかった、との言葉など。

常に心の隅に引っ掛かりながらも楽観的で、正直こんなに早くこの日がくるとは思いもせず、母に今月中旅行の誘いをしたりしていた私でした。が実家に寄るのすら何だかんだ言って断られた・・体調の悪化を堪えていたのかも。朝の明るい電話の声(前日も。)と裏腹に、この2か月、夜をひとりでどんな気持ちで過ごしていたのかと想像すると目頭が熱くなる。

偶然に土日+月火と、珍しく4日間休みを取っていた弟。長い長い、病院からの連絡待ちの時間に居たたまれず、二人でとりとめのない昔話をしながら実家近辺をさまよい歩いたり、看取りを終えた翌日には、実家に遺されたさまざまなものや昔の両親の写真などを、一緒に見ては笑ったり、、しています。今後も事務手続きや弔いのイベントを経て、ゆっくりと現実を受け容れいくのだろう自分。

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コメント6件

  • 片岡美穂 より:

    そうでしたか。。心からご冥福をお祈りします。私までもが、胸がジーンとしました。
    でも、何て素晴らしい最後のお言葉だったのでしょう。苦しい呼吸の中で、キャッシュカードの番号を仰った最後のお力は、子供達への母親としての大きな優しさと、毎日の無事確認の電話が楽しかった、とは、子供達への最後の感謝の気持ちの表れですよ。
    そんな最後の会話ができるなんて、そうないと思います。
    私は九州が実家だったので、両親とも、死に目には間に合わず、申し訳なかった、と今も思います。
    母の死は、今も実感もわかず、会いたい気持ちばかりです。
    ただ、朝晩、両親の写真に飾った花の水を変え、母が好きだった紅茶を備えながら、今日も一日、ちゃんと暮らすから、と話かけるのが励みです。
    お母様は、夜、お一人でも、決して、寂しくはなかった、と思いますよ。
    子供達が、こんなに心配してくれている、そう思うだけで、十分お幸せだった、と思います。
    真澄さん、「母の愛は、海よりも深し」 ですよ。
    私は、今でも、母が生きているような気がいつもしています。

  • masuminn より:

    ありがとうございます。
    そのように仰っていただけて、ほっとしています。

    今日は、湯灌と納棺の儀式を、納棺師の方の仕事を通して初めて拝見してきました。

    棺の中に花とワンチャンのミニチュアと、以前母が可愛がっていたインコとワンコの写真も添え、綺麗な母になって旅支度整いました。

    それでも私も弟もまだ涙一滴出てないです。まだ生きているとしか思えないですね。

  • 未央 より:

    そうか、早かったね。
    ご自分で決められた通りの潔い生と死。

    親にとって、子供のことはいつまでも心配なものだ。それでも兄弟姉妹が仲良くしていてくれれば、その気持ちはかなり和らぐ。
    側にいなくてもいいんだよ。独立して、何かあったら頼れる人間がいると分かっていれば。子供の人生だからさ。
    心は安らかだったと思う。幸せだったと思うよ。

    人は二度死ぬそうだ。肉体が死ぬ時と、記憶から消えていく時。でも親を忘れる人はいない。お母様もお父様も、いつまでもいつまでも真澄ちゃんと弟さんと一緒だよ。

    • masuminn より:

      潔いって、父が亡くなった時に母が手配した葬儀社の担当の女性に今回も私がお願いして、そう言われました。父の時からまだ5ヶ月しか経ってないので、母のことよく憶えてくれていて。
      うん、母の人生には、鮭の産卵を思い浮かべるんだよね。子供達はもう心配ない。自分の役割終わったらいつ死んでもいいっていう。
      父を見送った時、斎場からの帰り、お父さん幸せだったと思うよ、と言ったら母は私も幸せよ〜と言っていたので、それで良いと思っている。

      一つ母が楽しみにしていたことがあってね。8月バカンスに出かける私達の不在を、そっちでルイ君と一緒に留守番するわ〜と、旅行の誘いは断るくせに、その話は活き活きと、弟や主治医にまでもしていたらしい。私もルイに、オカアチャンのママちゃんをよろしくねと話していたので(笑)それが実現しなかったことだけが今、心残り。

      どんな細かいことも親のこと忘れずにいたいね。
      未央ちゃんも人の親だからね。がんば。^^

  • 片岡美穂 より:

    真澄さん、さぞお疲れになったでしょう。
    納棺師の方のお仕事は、私も初めてみて、何か感動してしました。見事ですよね。不思議なもので、親が亡くなった時、何故か、涙が出ない、って、よく聞きますよ。
    私の場合は、とにかく、連絡受けてから荷物をそろえて、名古屋まで行き、それから新幹線なので、臨終の連絡は、神戸ぐらいの距離でもらいました。
    頭は真っ白になり、何もかんがえられなくなりましたが、涙は一滴も出なかったです。
    泣いたのは斎場で、母の眠っているような顔を見た時だけでした。
    帰ってからも、泣きたいのに泣けないままです。
    不思議ですね。もしかすると、自分の体に流れている血は、全部両親からもらったものだから、親って亡くなっても、実質、その血は、自分のなかに流れているから、ずっと一緒ということなんだろうか、と考えたりします。
    真澄さん、お疲れが出ないように、どうぞ、ご自愛下さいね。

    • masuminn より:

      お気遣いありがとうございます。弟と進めていけるので、久しぶりに話を共有してむしろ楽しんでいるくらいなので大丈夫です。

      親の居場所との距離、こういう時大変ですよね。私も電車で数十分だったにもかかわらず、親の死に目に会えない(会えたのですが)ってこういう気持ちになるのかーとジリジリしたものでした。

      実は私も、旅支度を整えた母があまりにもキリッとした姿で、棺に収まった時、ああもう遠くへ、会えない場所へ行ってしまうんだとちょっとウルッときました。でもそれだけです。

      そうですね。自分は親の分身であると思います。私は自分のこれまで行き当たりばったりで出産とかまーったく考えずに(機会があれば産むし、なければないで)来たので、子孫を残す事についてそれでよかったのだろうか?とは考えますね。
      とはいえ与えられた人生はどうあれ楽しまないと。楽しいのが一番。という所で考えは停止してしまうのですが。

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