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2022-09-10

叔母をたずねて、人生いろいろ。

今週、佐渡ダイビング(あとで書く予定)の帰途、もう何十年も会っていない、私が小学生の頃、当時の夫さんと子供たちと一緒に私と弟を丹沢や奥多摩にキャンプに連れ出してくれた、母の妹(叔母)が、柏崎の山奥で暮らしていることを、母の死を機に知るところとなり、数十年ぶりに会いたい一心で寄ってきました。

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新潟〜東京への帰途。時間があったので、高速を使わず日本海沿いの “越後七浦シーサイドライン(国道402号)”を柏崎方面に南下。このルートが素晴らしい。右に、昨日までいた佐渡島の島陰を見ながら、時折山道に誘引され、カーブを楽しみながらまた海沿いに出る。断崖の切り立った険しい日本海側らしい海の景色と山道の反復に飽きる事なく、いよいよ叔母の住む、山奥へと進んでいく。

ぽつんと一軒家、まではいかないまでも、新潟でも雪深い地域に断熱リフォームもせず寒い寒いそれでも楽しいと、古家に夫婦と柴犬とで暮らしている。畑で季節の野菜を育て、米は近所の農家から買い、味噌やヨーグルトは手作り。採れすぎた野菜は保存食にし、春になれば得意の山菜取りで収入を得る、という自給自足ぶり。たまに町に買いに行くのは、魚と肉くらい。

その叔母から大量の、採れたばかりの長なす、オクラ、ピーマン、かぼちゃ、ウリ、大葉、バジル、もう終わりだから酢漬けにしたみょうがの瓶詰め、烏骨鶏の希少なたまご、、、をもらって車に積み、一路ルイの待つ我が家へ。新潟は近い。疲れる前に、運転楽しかった、で済むのだから。

人生いろいろ。この叔母も、姉である私の母のことが昔は自慢で大好きだったのに、ずっと音信不通だったこと(とその理由)、母の口からは聞くことのなかった母の青春時代や、母が父に惚れ大恋愛で20才で結婚したこと等の、今初めて聞くびっくりするような話に、なんだか母の人生を、子の立場からあらためて俯瞰したのでした。

その叔母さんも、当時はあの千葉の湾岸にいたのに、巡り巡って今この地で高齢になりながらも楽しそうに、本で肥料の勉強をしながら無農薬野菜を育て、私が「移住、勇気いりませんでした?」という愚問をぶつけるより前に充実ぶり定住ぶりをそこに見たのだった。家の土間に並べられた農作業具、梅干しの大瓶、糠漬け鉢、花の鉢、野菜の棚、、数々。ここで根を張って生きている証拠の。

私の母は、自分の妹(叔母)がここにこうして長年暮らしていることをたぶん知らずに逝った。叔母は、私が今回なにかに突き動かされて会いに行ったことで私の母との断絶を埋め、私は私で、母の喪失をいっとき埋めた。お互い、そんなように感じる。

やっぱり最後はだれでも自分らしく生きること、何処でも、自分が心から幸せと思える生活、やりたかった事をすることが人生の究極なんではないかなあと、今、叔母を見て思う。

それで私も、今年もう9月だけれど、あっという間に一年が終わりそうだけどギターに関してはレッスン以外まったくと言っていいほど活動していない。今年はそれ以外が濃すぎたと思う。

今はコンサートする気や人前に出ていく気は全くなく、それで焦ることもない。

 

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叔母とその愛犬と。

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コメント4件

  • 片岡美穂 より:

    いやー。。良いお話、そして、良いお写真ですね。。。しばし、見入ってしまいました。
    私も、よく似た事があります。
    私の母は、熊本県の山鹿市という温泉町の出身ですが、母の弟のお嫁さんが今も、87歳で元気でいます。
    残念なことに、その叔母さんと母は、人間関係が上手くいかず、福岡と熊本でも、殆ど行き来はなかったようです。
    でも、母のお葬式の日、叔母さんは、足が痛いにも関わらず、高速バスで来てくれて、私はとても嬉しかったものです。それも、会ったのは、45年ぶりです。
    2年前、福岡県の久留米にいる姉と弟に会いに行った際、その叔母さんに会いたくて、会いに行きました。
    山鹿市の端の山のふもとに、平家を建てて一人暮らしです。
    でも、納屋には、なんと、電動自転車と、耕運機が並んでいました。
    電動自転車は、町に、肉と魚とパン、それに乳製品を買い出しに行くために、耕運機は畑で収穫した野菜を積んで帰るため、だそうです。
    お味噌は自家製、卵も鶏が産んでくれる、そんな生活を満喫してるそうです。
    周囲は、お隣さんは一軒だけ、でも、毎日がやる事が一杯で、少しも寂しくなかバイ、と日焼けした顔で話してくれました。
    庭の花づくり、お墓のお守り、それでも、家の中はキチンと整理整頓が出来ていて、私は、ただただ、感心するばかり。
    思ったのは、やっぱり、最後まで自分らしく暮らす、これがイチバン、と確信しました。
    そうですよね。

  • masuminn より:

    あら、よく似ていますねー!
    都会でマンションで一人暮らしでも、田舎の平屋で一人暮らしでも、きちんと暮らす・・・私の目標の老後です。

    田舎暮らしは、憧れる人も多いでしょうが、だれでも長続きするわけではないでしょう。
    それは忙しいでしょうね。毎日、充実していると思います。自分で自分の暮らしを支えている誇りもあるでしょう、健康でなければ叶わない、幸せなことです。

    耕運機を操縦する87才女性。かっこいいですね!

  • 未央 より:

    目を奪われる風景が鮮明に分かったよ。

    当時の夫、ということは、離婚か何か?それこそ当時ではする人は皆無に近かったろうに。

    私も伯母になって分かったが、姉妹(兄弟?私にはいないので分からん)の子供とは滅多に会わなくても可愛いものなんだよね。まあこれは姉妹兄弟との仲によるのだろうが。
    仲の良い姉妹がどうして音信不通になったのか。悲しいことだが、それこそ人生色々で。
    せっかく埋まった断絶だ。これから時々会えるといいね。

    • masuminn より:

      そうだね。私も甥とは滅多に会えないけれど、かわいいものだね。両親の散骨まで終われば、残る予定のいくばくかの遺産は甥の学費の足しに全部弟に渡すつもり。

      音信不通になったのはやはり、時代による価値観だと思う。母とおばも、子供のころ両親が離婚し(戦争で相手を選べない時代の結婚のすえ)、出てきた資料とか見ていると、母が頑として離婚を許さなかった(自分にも妹にも)のではないかと想像できるんだ。

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