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2022-10-21

キンモクセイ二度薫る秋

この10月の秋らしくなかったこと。2度目のキンモクセイが薫ってたり、やっと今日晴れたり。

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猫はある日急に冬モードに入る。夏は足元で寝ていたのが、寒くなってくると私と一つ枕を分かつように上がって来る。至近距離に猫の寝顔。人間の赤子と何らかわらないだろう眠りっぷり。こりゃー猫じゃない、人間のこどもだ。しかもヤツは、枕の真ん中に頭を乗せた上に横幅を取るので、私はベッドから落ちそうなくらいに端っこでいつも寝ている。真上から写真を撮ったら面白い図が撮れるだろう。あまりにすみっこすぎて眠れないと、仕方なく猫をグイグイ押してスペースを確保するも、まったく動じない落ち着きようだが、こやつもやはり猫にすぎない、つまり人間の親よりも先に逝くのだろーか。なんてことを思ってしまう。

やっと、ちょっとギターを弾く気が出てきた。12月に好文画廊。故 松山先生(もう5年経つ)から引き継いだ、ささやかな演奏会のために。

断酒も解禁となり、単位を数えながら飲んでいる。香辛料(私の場合カレーとか)や激しい運動(私の場合水泳など)も同時解禁。

思えば、先日の大腸内視鏡検査で腕に点滴を繋がれストレッチャーに乗せられ検査室に入っていくまるで手術室に運ばれていくような緊張感と、鎮静剤が注入され眠りに落ちゆく感覚。

お母さんも苦しくなかったのだったらいいのに、とすぐ思ってしまうのだけど、小説では甘美な、と表現されたりする死の瞬間って一体どうなんだろう?鎮静剤で眠りに落ちる瞬間は、まさに甘美だった。

実家から持ってきた時は紫色で瀕死だったシャコバサボテンはすっかり蘇って、うまくいけば冬に花を咲かせるかも。ほかの母の植物たちもほぼ皆好調。ぼくらはみんな生きている。生かされてるんだから、やれることをがんばらないと、だ。

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