2020-10-15
四半世紀の看板
水道橋駅から神保町方面に白山通りを歩いていたら偶然見覚えのある看板が。うわー、まだこの看板健在なんだ!と。
私が初就職した小さな会社。そこでは看板の新素材(FRP)を扱っていて、営業マンは都内各所で日々飛び込み営業。事務職で雇われていた私は事務仕事がヒマだったため、看板デザインを描いたりパースのようなものを描いたりして営業マンたちに重宝がられ。これが当時のそのひとつです。
四半世紀経ってもさほど古びず、壊れずほとんど汚れもなく(もちろん店主がメンテを欠かさないのだろう)、いまだ現役で通りを明るく照らしているのにびっくりだったけれど、お店自体が続いていることもなお感慨深い。ルーバー中央の、店名と本のモチーフのデザインもシンプルだけど一応私のオリジナル。(素人ながら、どこかから借りてくるのは良くないと思っていた。)
この日の用件は、仕事のついでに神保町のダイビング ショップにダイビング コンピューターのバッテリー交換をお願いしていたのを取りに行ったのでした。GoToトラベルキャンペーンに後押しされ、1年以上ぶりに潜りにいくことにしたら、ダイビング ウォッチが電池切れで死んでいたため急遽。
また前を通ることがあれば看板のこと、お店の人と話してみたい。…が勇気がなくて通り過ぎてしまうかも。。
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生まれて初めて半世紀の意味を知ったよ。10年のことかなあと思いつつ、調べずしてそれこそ四半世紀。
感慨深い話だね。私もTEACのロゴを見るたびに、私の会社だあと思ってしまうが(そういや、最近見かけないな)、その比ではない。真澄の生きた証が、密やかに東京のあちこちに息づいているんだね。
生きた証ではないが、小学校もマスク必至となって、週明けから娘どもが真澄印をつけて登校しそうだよ。
いつまで閉じ込められるのやら。フランスは自由の国ではなかったのか。250年も経つと変わってしまうのだなあ。一概には測れまいが、日本の方が自由だなあ。