2019-05-24
オリーブの花咲く頃
テレビでは高齢ドライバーの事故のニュースに独居老人の認知症のドキュメンタリー。はたまた、80代になっていよいよギターを弾く指が回らなくなり、調弦の違いにも気がつかない、とは人づてに聞いた話。
私自身が身につまされるほどにはまだ至っていないけれど、なんともやるせない気分になる話ではあります。
車大好きだった父はもうすぐ82。とっくに車は手放し免許も返納済み。少し耳は遠いが認知症はなし。病はあるけれどふつうに家で暮らし、ただし薬頼みで、効かなくなった時が覚悟の時。
父より十年若の母も、そのまましっかりし続けてくれれば良いけれど・・と一抹の心配はあり。
哀しいかな老いはみんなの宿命。人のも、自分のも受け入れながら生きていかなきゃならない。
毎夜、私に寄りかかりながら可愛い寝顔をこちらに向けている猫もそう。いつか皆居なくなり、独りでここで寝ているであろうウン十年先の自分を想像しては、今をなんと幸せだったかと思い出すのか と考えたりする。
そんなのまだ先送り~とスグに打ち消すのもいつもの事。それより、ギター弾く指が好調なのを喜ぼう。相変わらず難しい曲を引っ張り出してきて弾いている。人より始めるのが遅かっただけ(と思うようにしている)の私はその分まだ、若い頃と比べたり衰えを感じたりせずに済んでいる。自分物差しで。
花をたくさん付けたオリーブの木を見ていると、イタリアの夏を思い出します。遺跡や、堅牢な石の建物、石畳に容赦なく照りつけていた太陽を。その光を受けキラキラと輝いていた広場の噴水の雫。それこそ生命の泉。生を楽しもう、というイタリアの spirito が今また力強くわき上がってくるのでした。
関連記事
幼くとも継続は力なりから、今度は人生の段階が飛躍したね。
結婚記念日の回でも、人生の終末について、同じように思い巡らしていたね。私たちの世代が、その世代のすぐ後だからかな。
私の母が時々、「いつ死んでもいいわ」などと呟くので、今の人生がそんなに耐え難いものなのかと思ったものだが、最近この気持ちが分かるようになった。とりあえず、見るべきほどのものは見つ、という感覚というか。不老長寿になりたい人の気が知れない。いつまでも同じことをしていても、しょうがないではないか。
ひょっとしたら、この感覚は、次世代はもうあるから、自分はもういなくてもいい、というものなのかも知れない。
残される者にとっては辛い別れだが、本人(達)は案外、逝く時は逝くよ、なんてケロッと思っているのかも。
まあとにかく、人生、続く限りは修行だよね。毎日、死ぬまで、努力を弛まないというのが理想だ。
オリーブなんて御自宅にあったっけ。日本で実はできるの?