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2022-03-04

今日は休み

夫が昨日からある治療で入院。帰ってくるのは日曜日。よって本日は、レッスンの仕事もなく、完全なる休日。

リスクがゼロの手術などないとはいえ、治療法が確立しているよくある手術で私は殆ど心配していない。毎月家計から出ている止めるにやめられない、安くはない掛け捨ての医療保険が、少しは役に立つ機会だからせいぜい頑張ってくれ、と夫を送りだした。

夜、私の遅い帰りを待っていたルイ。通りが見下ろせる窓辺に、猫のシルエット。私が外から手を振るとすぐ気付いて身を翻し、自転車を施錠している間、玄関に来てニャオーンニャオーンと鳴いているのが聞こえる。お腹が空いているんだろうけど、本当にかわいい奴っちゃ。

ルイにご飯と、ひとりで待たせたお詫びにちゅーるをあげて、私も自分のご飯を食べ呑みながら、電車の中で読んでいた本の続き。ルイはしばらく私の膝の上で寛いでいたけれど、ソファーの毛布に移動して丸くなって本格的に寝はじめた。

電子書籍にあれからはまってます。とにかく本棚スペースを気にせず手軽に買えるのが良い。この数週間、本や漫画に、いろいろな人生、考えてもみなかったような人生が世の中にはあるのを勉強させてもらっていました。

なぜかどれも、そうとは知らず死の場面が出てくる物語だった。ここで(自分のブログで)、ネガティブワードを扱いたくはないのですが、つまり「死」は私の中では悲しかったとしても決してネガティブではないのです。死は生の延長であり、いかに生きたかの結末だと思う(もちろんそうばかりでない理不尽も実存し、偶々恵まれいるから言えることかもしれない)、人の一生とはそうであってほしい。マラルメの詩を授業で読んだ二十歳の頃から思ってる事です。

自分の年齢が50を超えた辺りから数のマジックにかかったように、自分のことも終わりから想像して考えたりし始めてるうちに、実際父が死に、小説の中の人物の終末にも感情移入したり。

いずれ私もこの家でひとりになって、長ーい長い余生を生きることになるのかもしれない。今も隣で、すべすべの毛皮を密着させて寝ているこのあったかい奴も、いずれはいなくなる。平和ボケかもしれない自分は考えるだけで怖いが少しずつその準備が始まっているのかもしれない。

いかにして喪失を受け入れ、いかにして自分の人生をも終わらせるか。

壮大なテーマです!

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今日は完全休日。

昨日時点では、どこかへ自転車で行こうか。それとも車を運転して少し遠くへ行こうか。いつもは行けないインド屋さんへ行こうか、久々にクスクスの材料を買いに行こうか(夫の苦手な食べ物はエスニック料理)、、、

考えあぐねたけど、決められないまま眠りについた。

朝起きて、洗髪したらふと朝ビールを思いついた。旅先でやるように。

昨晩は読書優先でそんなに飲まなかったし。と理由付けして、プシューとグラスに注ぐ。

あとはまた読書の続きと、練習だ。たぶん。次の発表会の曲を生徒さんと話し合っていて出てきた、「DEDICATORIA」〈捧げる言葉〉っていう、グラナドスのピアノ原曲の小品。探したら夫のライブラリーにピース譜を発見。ここ2,3日気に入って弾いている。

いつも頭の片隅に、こういう風に人生を終わりたい、って小説のアイデアのように考えているのは、いがいと悪くないものだ。〈捧げる言葉〉のようなメロディーで、締めくくられる終わりならば。

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コメント6件

  • 片岡美穂 より:

    ご主人さまのことはFBの投稿で知り、今日もみんなで、行ってらっしゃい、のコメントをだしました。
    真澄さんの死生観は私とは似てるようです。
    出来れば、さいごに、フンフン、死ぬ、ってこういう気分なんだ、これも経験だ、と認識出来るように、今からボケないようにしたいとおもうし、で、あー、面白かった、と笑いながら、母の所に行きたいと思ってます。
    今日も、明日も、しばし、ゆっくりなさって、ルイちゃんとまったりしてくださいね。

  • masuminn より:

    ありがとうございます。さっき、夫は自転車に乗って帰ってきました。
    片岡さんのおっしゃるように、最期も何でも、自分のことを面白い実験のように俯瞰する余裕があったらいいですね。

    いやー私も調子狂いまして、ゆったりまったりできたのはこの一日だけでした。

  • 未央 より:

    マラルメのどの詩かな?私は青学で詩の授業はとらなかった。こちらでは、マラルメは音を愛でるのであって、内容は考えない、と、とある教師に言われた。よく読んだことがないから、判断ができない。時間があったら、色々解説書を齧ってみたいけど。

    真澄ちゃんのブログを読んでいて楽しみなのは、人生の条件が違うから、それだけ違った観点が見られることだ。今のところは、私にとって死はある意味遠い。これだけ生きてくると、死ぬのは怖くないし、いつまでも生きていてもね、とも思っているが、娘が成人するまではそういうわけにはいかない。
    懸念するのは、次世代の生き延びられない地球。環境汚染、懲りずにまた始められる戦争。。。こういうことを考えると、子供なんて生まなければよかったと後悔する。
    矛盾する二つの死の観念が、同時にして私のなかに存在するかのごとくだ。小学校で、ゆずり葉という詩を読んだが、この詩が意味を本当にもつ時代はもう過ぎ去った。
    死ぬのは怖くないが、ゆずり葉が存続する世界を見届けてからにしたい。

    • masuminn より:

      マラルメの toast finèbre という詩だよ。4年の時だったかな、人気があまりない講義で、私もなぜ取ったのか覚えていないし取ってる学生も少なかった。教授も学生の人気取りには興味ない人だったのだろう。まるで自分の趣味の世界のようにゆる〜くやってた。試験は、講義で取り扱ったこの詩が原文で出てきて、感想を “自分の言葉で” 述べよ(もちろん日本語で、)という一題のみ。で、いいのかなぁ?と思いつつ、今思ってることと同じことを書いたらそれだけで A(一番いいやつ)もらったのでとても良く覚えている。もともとあった若かりし自分の死生観がこの詩に出会って裏付けられたような気持ちになったのかも。

      当然、置かれた立場が違えば、視点も違うね。未央ちゃんは娘達の目線で一緒に未来を見ているし、それが一番。子供なんて生まなければ、という思いを持つのもその一部(想像だけど)で現実にそういうことが起こっている。

      ゆずり葉の詩は知らなかったので、調べてみました。子供の時読めば、ヒトが連綿と命を繋いでいることの端緒になりそうだし、大人になって読めば大人の責任の方を強く思う。

      私がトーストフュネブルをあげ、未央ちゃんがゆずり葉をあげるのも、立場の違いを思えて面白いね。

      今 、生物学者が書いた「生物はなぜ死ぬのか」という本を読んでいるので、文学的じゃないところからの何かが見えそう。

      実は読了してからこのコメントを書きたかったのだけど、RNAやらDNAやらの化学記号とか物理の話が出てくるので、読み進めるのに時間がかかっている。

      でも読了後に私が得るだろうものは結局、ゆずり葉 に書かれていることにつながっていくように感じる。

  • 未央 より:

    読んでみたよ。
    死の詩と(あえて重ねて書く。美しい)生物細胞の老衰について。とは言っても、ネット記事を一ページ読んだだけだけれど。簡単な知識はあったが、細胞、核、染色体、DNA等の位置づけが非常に曖昧だったので、いい機会だった。真澄ちゃんの本はもっと詳しく(当たり前)興味深そうだね。
    マラルメの方は、ゴーチエの死にあたって書いたのかしら?二回読んでみたが、やはり感想は「響きが美しい」である。それだけでよいような気もするし、解釈本を読んでみたい気もするし。
    ちなみに、アポリネールのCors de chasseが思い浮かんだよ。やはり耳に心地よい詩である。アポリネールの「アルコール」に収められている詩はどれも響きと余韻に優れているが、この詩は割と最近に再読したのと、厳かなところがね。マラルメは厳か、かつきらびやかな金で、アポリネールはワインの色の映る金かなあ。
    ゆずり葉から離れましたが。日本の詩は音と意味あってのものだと思う。(ちなみにアポリネールは意味のある詩を書く。これは授業で習ったので分かるということもあるが)。
    こう書いていくと、やはり人間というものはすごいよね。人間の生も死も、尊ばれる地球であって欲しい。

  • masuminn より:

    まだ読み終わらないけれど、生物は進化するためにリサイクルしていくということのようだね。人間も、どこまで速く走れるようになるのか、氷上で何回転まで舞えるようになるのか、かといってリサイクルと進化のあげくに猫の身体のようにはならないにしても。やはり猫は猫だし人は人。
    ゴーチエね、たしかそうだった。
    核、細胞、染色体、ミトコンドリア、ゴーチエ、・・・これからも忘れたままだったはずの単語を、いろいろ思い出してきたよ。
    マラルメは意味より音主体だったのか-。アポリネールは、読んでいないかも。ワインの色の映る金、か。私に判読できるかわからないけれど、味わってみたいね。それらに比べると、日本の詩は音も内容もあるということなんだね。

    初め、一つの細胞が地球上に生まれただけでも、偶然が重なってできた奇跡なんだって。人間として生まれるのも奇跡、日本に生まれるのも奇跡。
    翻って、生まれた以上、どんなにつらくても重荷を背負っても、受け止めて死ぬまで生きるのが人間だと、最近見た二つの映画が発していたメッセージでした。

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