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2022-04-26

前回の続き

先の投稿で横浜 山手の風景を、行った事ないけどカナダみたい、と載せたところカナダに行った事のあるギタ仲間のお友達からLINEがきて、まさにカナダです!とのこと。そして

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バンクーバーの、グーグルストリートビューのショットを送ってくれました。

まさに。

・・むむ?

クリーム色の建物も、山手のそれと雰囲気が酷似しているではないか。↓↓

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横浜に限らず、日本の港町には外国を移してきたような雰囲気の場所が多そうですね。

 

ところで母との毎朝の電話での会話を、ノートに記録していくことにしました。ひとりで喋りたいだけ喋ったら、ありがとうまた明日、と言ってガチャンと切る(黒電話ではないけど固定電話)のも、声の張りも、以前となんら変わりのない、まだまだ元気な74才の母です。

検査入院ののち、治療を断った上での退院。以来、家で、本来の調子を戻しながら今日は何々をする。とかあそこへ買い物に行く。と、毎日一つは目標を決めているそう。暮らし慣れた家で、一人暮らしができるだけ良いんじゃないか。

この先のこと(病の進行)は神のみぞ知る。母も、父のことを終えて今、自分と向き合っているのだろう。

子には何もできない。ましてや意に反する延命治療など。

短かろうが(神のみぞ知る)、母が覚悟しながらも前向きで幸せな日常が続くよう願うしかない。

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コメント2件

  • 片岡美穂 より:

    お母様は、私よりお若いんですね!
    治療をお断りになってご自分の意思で、これからを過ごされる、ステキなお母様ですね。
    日々の暮らしのなかで、何か目標を持って生きる、って、きっと大きなパワーの源になると思います。
    私の母は、96歳まで生きましたが、最後の3年程は、やはり、入退院を繰り返しました。おかしなことに、その都度
    退院すると、帰ったよー、と言って電話をよこすのですが、いう事が、あー、楽しかった、でした。入院して、楽しかった、とは笑っちゃいましたが。
    それは、毎日、家に帰ったら、椿に肥料をあげないと、とか、庭の草むしりしないと、とか、そんな話を、若い看護師さんに聞いてもらって楽しかったみたいです。
    でも、やりたい事を早く出来るようになりたい、という、その目標を持つ事こそが、回復の原動力になる、と主治医のドクターは言っておられました。
    思い切りの良いステキなお母様、きっと、お元気になられるとおもいます。
    お話、しっかり聞いてあげてくださいね。

  • masuminn より:

    片岡さんは私の母より年上でしたか!意外でした。
    母は、結婚も出産も早かったです。
    苦労してるのを見て、結婚なんて…と、私は倍遅くなりましたが。
    96まで人生を楽しまれたお母様の明るい精神を片岡さんも受け継いでいらっしゃるのですね。
    私の母は残念ながら、一度悪くなった検査数値が良くなることはない病気のようなのです。
    数値の悪化を引き延ばすだけの治療(とはいわない?
    )は延命でしかないのでしない、というのです。
    でも、重く受け止めずにいて下さいませ。それで私も書きましたので。
    いかに人生を締め括るか、が重要だと思うので付かず離れず母をサポートしていきたいと思います。
    本当は片岡さんのお母様のように90才代でも元気な母、を想像していたんですが、ね!
    その人に与えられた生き方、終わり方があるのかなと思います。
    コメント、ありがとうございます!

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