人と接するのが、すき?
お気に入りのお店の本日のランチメニューとか、休業日などの情報を得るためだけに作ったTwitterアカウントだけれど、その界隈から流れてくるツイートがなかなか興味深い。
こちらは私もファンで長年通っているお店の、立ち上げた方。料理本も2冊持ってる。
バイト応募しようとして、
「人と接するのが好きな方」
って書かれてるとちょっと引いてしまう、って、わかるー。!
高校生時代のバイト面接を思い出しました(学生生活楽しい?と聞かれた大手ファストフードチェーンでは不採用。その後個人の喫茶店では雇ってもらえた)
さて、私は現在の講師業もサービス業と思っているのですが、しかし決して人と接するのが好きではないし得意でもないと未だ自覚。むしろ、仕事など、ひとりで完結するものならなるべく人と関わらず生きて行けたら、と思ってきた。
ふつうそういうわけにもいかないし、、だからこそ必要なことは?ひたすら誠意だと思うのですが、それ以前の話。
べつに人が好き(←人付き合いが苦手の反対語として)である必要はないんじゃないかって思う・・・私は自分をコミュ障とまで思ったことはないが、電話取るの怖かったし・・・でも歳を重ねてここまで来れたと思っているし、自分の中のいいかげんな一面が助けているのもあると思う。
このツイ主は、店がお客さんにリスペクトされていることと、自分が演じ切れている(ことで接客を克服)と書いていました。
ふーん、私もそんな感じかもしれない。私の場合もっとごく狭い世界の中でですが。
とはいえ「演じる」いや、「演じることができる」っていいな。過去書いたけど、演奏も演じることだし。ぼーっと生きていないかぎり、ひとはみな役割を演じて生きている、のかも。
コメント5件
マグレブの美男系大男さん(←見てみたい)、いい年の取り方をしたんだね。リスペクトする、されるって大切なことだわー。そこで働いているなんて、これまた入り込んでるねぇ、根ざしてるねえ。楽しそう。
いやぁ、助けてくれる人を味方につける能力、たくましい。というか、生まれ故郷の国と違う文化圏で暮らすのだから必須能力か。
一生懸命だから見ていてくれる人がいるということだよ。
私も人生たいていのことはどうにかなると思っているけどやっぱり助けられて生きてるよね誰しも。もし●●さんがいなかったら今・・・と思う人は振り返ってみれば何人かはいる。
それで、接客業に向いてるかといわれれば、向いてるよね。業種はあるかもしれない。元気のよさ、明るさ、ノリの良さがあったほうがいい職場。未央ちゃんは声も通るしね。私は暗いよ(笑)。やっぱりマーケットいや、マルシェのおかみがいいんじゃないかな。
シャネルでバッグ売っているイメージはないよね!ははは。
演じがいがあるに一票。
何だか私の(市場の)八百屋さんの言葉のようだ。
六十くらいになる大柄(マグレブ系で美男に入ると思う。年をとっても見劣りしないね)、ちょっとぶっきらぼうで、が、誠実で、必要なければ人を威圧しない(つまり、怒らせればそうできるであろうということ)。愛想がよいというよりは、馴染み客には心底嬉しそうに接している。
この人が、市場で八百屋を始めた時代(14歳)は、客商売が苦手でしょうがなかったと。慣れだそうだ。今は、人と接するのが好きなくらいだと。
意外な言葉だったな。
ただし、見返りという思考とは別だとは思う。客(であれ誰であれ)が誠実に礼儀正しくしてくれるから、こちらも嬉しい。という感じではないかな。
ところで。ここで時々私は売り子さんと転じているが(客なのだが、忙しい時とかにレジとか、片付けとかを手伝う。面白い)、天職だと思う。この話は前にしたかな。にっこにこして、らっしゃい、まいどー、はい、***ユーロになります、よい一日を~と言っている自分が楽しくてしょうがない。
演じているか?もともと人のよい面を見るのが好きだから、それとは違う。自分が人の良い面を引き出す、この感覚。
ちなみに、私はどこにいても誰かに助けてもらえるという特技をもっているが、自己分析の結果として。
ー 助けを求めるのに躊躇しない。何も言わなくても、その雰囲気を醸し出している。
ー 自分を過信している(正確には、何とかできる。てか、自らを窮地に追い込む才能もあるので、やるしかない)ので、他人から見て無理そうなことでも実行し始めてしまう。故に、他人は、助けてあげなければと思わざるをえない。
ー そして。自分自身、人を助けるのが好き。無力だが、ちょこっとしたことをしてあげたい。これが最初の理由につながるが。情けは人のためならずとも違うんだよな。得に見返りは求めていない。
さて。私は接客業に向いているでしょうか。