2024-04-27
修理代稼がんと
私のアルさん、クラック発見したのが昨年12月。それで気軽にギター仲間と一緒に、製作家で日本の名工である桜井さんの工房にアポ取って久しぶりにお邪魔した。
傘寿を前に、相変わらず精力的に働いている桜井さん。この間までポルトガルのフェスに呼ばれていたとの事。
海外のギターイベントで2週間ご一緒させていただいた仲なので、修理に関して正直なところを言って頂いた。
裏板を外しての大工事、になるらしい。製作家は当然みな製作に忙しいから、リスクのあるアルさんのような古き銘器のリペアは誰もがなるべくやりたくないそうな。クレームの懸念もある。割に合わないそうな。
うわわー、そういうものか。
新品ギターが一本買える修理代になりそうだ。それでも、一番大事な音色が、損なわれることはあっても良くなることはない手術。ってことで、いろいろ念を押されたが、仕方ない。私はアルさんを手放す気はない。出逢いがあって、タイミング上そういう楽器を買ってしまった以上は。オットと同じだな、とフフッと薄ら笑う私。ガタが来てるからってうっちゃって乗り換えることはできないのだ。ハハハ…
信頼できる職人さんに、即、取り次いで下さっただけでも桜井さんには感謝である。
手術がうまくいくことだけを願う。あとは、その手術代を稼ぐことだ。とーぶんダイビングには行けないな。金のかからない(ダイビングよりは。)山という娯楽が私にはあってよかったぞ。
タグ: アルカンヘル フェルナンデス
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コメント2件
そんな高尚なお方とただの思いつきブログ文章を結びつけないでおくれ(笑) 俳句について、そのバルト氏より何も知らないと思う、日本人の私。
韻文は昔から苦手意識がある。
でも、結果としてそう感じてもらえたなら嬉しい。
何だかね、捨ておけないから、頑張るしかないね。はは…
修理の話なのに、突如「甥が母の生前に贈ったクレマチスが、今年も甥の誕生日に合わせて咲く。」で、何だかじんときてしまった。
なんとなく、俳句で作られた日記のようだ。
ローラン.バルトという社会学者(等。色々やっていた人なので、タイトルも多し)が、俳句で小説を構成するという概念を語っている。この天才は、この概念を形にすることなかったのだが(俳句は一つ一つが独立しているので無理がある)(連歌について述べていたかは失念。連歌は一貫性に欠けるからこれでも無理だと思うが)。
真澄ちゃんのブログを読んだら、何を言っただろうか。
そうかそうか。どんな業界(?)にでも裏事情はある。銘器を手にするということは、その条件全てを受け入れるということか。
そして、どんな結婚にも裏事情はあるのね、はは。
頑張れ。