日曜日、掃除しながら考えた事
ギターを習い始めた頃、発表会の度に演奏はよくなっていかなければならない、と思っていた。まだ小学生の子供だったけれど。習う事も増えていくし、経験も増えるから。
演奏活動を始めた時もそうで、今はこのレベルだけど経験を重ねていけばもっと良くなるはずと思ってきました。実際ある時まではそうだったかもしれない…。
ある時、それまでどうしても出来なかったことにやっと手が届いた。それで、きっと次からは大丈夫だろうと思っていたのだけど、実際うまくいかなかった。
あの時うまくいったのと今回ダメだったのはなぜか。考えて、答えがわかるような、でもその答えじゃないような。
でも決して前の自分に戻ってしまったんじゃなく、また次なる段階へのあがきが始まったようにも思えるし。
ところで演奏者は、うまくいかなかった時も、お客さんや生徒さんの前では笑顔で堂々としていなければならないんだけど、誰かに言いたいんですね。
ある方が演奏後うまくいかなかったことを近くにいた私に伝えてきたことがあります。私は、いや〜相変わらず◯◯さん上手いな。と思いながら聴いていたので、こんな人でもそんなことがあるんだと、またそれを私に言う?とその時はちょっとびっくりしました。
またあるとき別の方からもそんな感じに聞かされたことがあって、どんなに上手い人でも好不調はあるのかーと思ったのと、やっぱり誰かに話したいよね、って事で、私は勝手にその格上の相手が私を“同志”のように思ってくれてるように感じ、そんな時ちょっと嬉しいのでした(言うまでもなくその人がうまくいかなかった事が嬉しいのではない)、ここだけの話。
お客さんには「失敗してすみません。」なんて間違っても言えないし、生徒さんも付き合いの長さにもよるかもしれませんが「そうでしたか?全然わかりませんでした。」としか答えようがないと思います。
さてそんなことよりも、そうならないように練習ですね。
練習しなければならない時に限って、掃除したい場所を余計に見つけてしまう久しぶりの晴れの日曜日。
台風後の窓があまりにも汚れているのが気になる→ブラインドの埃が目に入る、という具合に… (>_<)
そうかもしれないねえ。山登りで言えば、険しい崖を這い上っていて、ちょっと左に寄ったり、右に寄ったり、迂回道をとった、とか、そういう感じではないかしら。
はははそうか、演奏者には人に言えない(文字どおり)苦労があるということか。そりゃそうだよね、観客は完璧を求めて来ているわけだから。同志がいるということは大切だね。頑張れ頑張れ。
本番前にこうして他のことをするのは、私は必要なことだと思うよ。煮詰まってしまっては、いいものは生み出せない。