画廊演奏会
毎年恒例の、浜町、好文画廊演奏会。
演奏する者からすると画廊にだけしておくには勿体ないほど音の響きが素晴らしいのですが、なんとも使用料が高額。しかも背景に絵がないと寂しい空間になってしまうので、こうした展覧会にかこつけて弾かせてもらうことのできる機会は貴重です。松山文人さん(故人で今回七回忌)が演奏していた頃から引き継がせていただいているご縁です。私も松山さんの年齢を、先日超えました。
だからというわけではありませんが、かつての自分のレパートリー、セリエ・アメリカーナ(南米組曲 H.アジャーラ)を、松山さんが私に、これから僕もこれ弾こうと思っている、と話してくれた作品を、今回偶然に弾くことになりました。
一瞬のものである音楽に、一瞬であるからこそ(俗に言えば緊張を超えて)魂を込めて演奏しようと努めるのが伝わってきて、とても尊い行いだなぁと思いました。私も最近、人前で演奏することの意味について、うまく言えませんが以前とは違う、何か少し考えが変わってきたのです。
忙しくて時間がとれなくても、なかなか上手くなれないと感じても(昨日も打ち上げの話の中で出ました。絵も楽器も、右肩上がりには上がっていかなくて、ずっと停滞しているようで、ある時ぽんっと段階が上がる、と。)とにかくやめずに理想を持って突き詰めていく姿勢を、年上のギター弾きの皆さんから感じとっています。
今回は打ち上げ人数も少し増えて、とても楽しい時間でした。中でも、
絵のみならず書もなさり一流の海外オケも聴いてきたという展覧会グループ長のY女史御年89才。そのパワフルさ、精神的にも肉体的にも、を尊敬します。また来年もお目にかかれることを楽しみに私も練習を頑張りたいと思います。
いやー、たった?20分程度の演奏とはいえ、弾き終わってもの凄くお腹が減った。登山並みに。お昼はがっつり、ハーフカツ丼&ハーフコロッケうどんのセット(自作)だったのになー、笑。
登山並みの食欲ですか。すごいエネルギー消耗なのだなあ。
魂を込めるのか。
永楽は現代ダンスをやっているわけだが、昨年の終了試験であまりよい点をもらえなかった。普段は表現力のあるよい踊りなのが、緊張してしまうらしい(ちなみに、普段のレッスンでは集中している時とない時と、ムラが大きいとの教授陣の声も)。
他人に見られている、のではなくて、自分のダンスへの愛を見せてくれる、という心持で次回の試験は受けてみればと言ってみたが(昇級はしたが、毎年試験はあるので)。。。魂か、言ってみよう。
大切なのは情熱であり、上手くなることではないね。