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2016-10-15

運動会日和ですが、猫ばか読書の秋の話。

unodoukai

隣の校庭ではにぎやかに運動会が行われています♪

「猫さん3才になる」で8月にも書いたように、以前は猫好きではなかった私、
作家の角田光代さんが猫に関して書く文章がツボです。

雑誌や新聞でコラムを書かれているのをいくつか目にしただけなのですが、猫に興味がなかったのに、ひょんなことから飼うこととなり、猫の魅力を初めて知り、いつしかすっかり猫親バカになっているという・・・私とおんなじ。彼女が書く文章には共感してしまいます。

ただし、さすがは直木賞作家。
いくら動物から何かを感じ取っても、私などにはとてもこうは表現できません。
2015年11月1日付の日経新聞朝刊の文化欄に載った「言葉のない会話」というコラム(切り抜いて取ってある)。
以下、引用です。

猫を飼うようになって知ったことのひとつに、猫は人の言葉を理解する、ということがある。
それから猫は話もする。鳴き声のニュアンスや顔つきや態度で、言いたいことを伝える。猫を飼っていないときの私が聞いたら、「猫に夢中の、気の毒な人だなぁ」と呆れただろう。でも、本当だ。

*****

猫をケージにいれて、電車に乗っていたところ、隣に座った八〇代くらいの女性が「まぁ、猫ちゃん」と気づいて、「可愛いわねぇ、お名前はなあに?」と訊いてきた。

その女性は、テレビで見た猫を育てる実験の話をする。お利口ね、かわいいね、えらいねと連呼されて育つ猫は、毛づやがよく生き生きとしているが、ネガティブな言葉を言われ続けて育った猫は目に元気がなく、ちいさく、かわいそうだという。だから、猫の前で「馬鹿」と口にしてはいけないという。

猫を飼う前の私だったら、こうした話もまた、どこか懐疑的に聞いていたかもしれない。いや、そういうものだろうとは思いはしても、ひたすら、見知らぬ人に話しかけられる面倒に辟易していたかもしれない。

******

終わらなくて持ち帰った仕事を広げる。猫が目の前にやってくる。しばらく仕事をする私を見ているが、途中で、わざとらしくひっくり返る。頭を逆さにしてじーっと私を見る。何かを発信している。

まったくたいへんだねぇ、かもしれない。まあ、がんばりなよ、かもしれない。もう仕事やめたら?かもしれない。もう寝ようよ、かもしれない。
いや、人間の言葉にしようとするから特定できないのであって、なんとなく、猫が発信していることはわかるのである。そのぜんぶをまぜこぜにした、「あー、もー」というようなことである。そして、こういう気分のほうが言葉より先にあるのだよなと、思い出す。

何かおもしろくない、いらいらむしゃくしゃする、心がかゆいようでもある、泣きたくもある、叫びたくもある、それを伝えるために私たちは「怒り」とか「口惜しい」などと言葉をあてはめる。でも、その言葉からこぼれ落ちていく感情は、実際はたくさんある。言葉が先にあったのではない、言葉にならないあふれるような感情に、やむなく言葉をあてはめただけなのだ。

私は猫が用を足しただけで「えらいねぇ」と褒めるが、言葉にならない膨大な思いがあって、それをえらいだの、かわいいだのに押しこめているだけだ。

*****

そして猫も、言葉ではなくその膨大な思いの方をキャッチするのだろう。そのようにしか成立しない会話というものが、世界にはきっとあるのだろう。

残念ながら丸ごと転載はできないのでかなり削ぎ落としましたが、・・・ニャンコのみならずワンチャンでも、なにか動物を飼っている方ならば、膝を打って同意されるのではないでしょうか。

とくに、「猫を飼う前の私だったら・・・」と傍観しているくだり、わたしもまだ猫歴が浅いので、両方の気持ちがわかる。このコラムの面白いところです。

そういえば、あやつは何処へ。
「ルイー!」バルコニーに向けて呼ぶと真後ろから「にゃー」と返事。振り返ると、すでに戻ってお昼寝体勢でした。
いつも呼んでも返事などしないのに。PCにへばりついていた私の慌てぶりをキャッチしたのでしょうか。

新聞で猫に関するコラムを見つけると、切り取ってとっておきます。その書いた人のことを覚えておきたいと思うし、どれもいつ読み返しても面白いんです。

書店へ行けば猫書籍を目で探してしまうのですが、その点amazonでは関連書籍を次々と表示してくれて便利というか、キリがないですね。で、厳選して昨日届いた2冊。

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左が角田光代さんが自身の飼い猫を書いた著書。

これから読むのが楽しみです。

 


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