2024-01-30
受験シーズン
ギター生徒さんで、子供が受験生だからレッスンお休みさせて下さい、って方がいてその方々はほぼ私と同年代ですが、自分の受験時代を思い出します。ま、私はコタツに入ってのんびりやっていた記憶しかない。しかし、デキル子の場合、親の方が気を使うって聞きますし大変だと想像します。
うちの両親は、私が学費減免受けられる貧乏だったから高校出たら就職してほしかったらしいけど、私は通っていた県立高校の、周りの同級生がほぼほぼ大学受験すると知って焦って、流されて(人生流されたのは後にも先にもその時だけ)、当然やりたい事もまだわからないのに国立2校、私立は記念受験のつもりで1校を受けました。とはいえ受験料も2、3万するわけで、目的もないくせに親に請求するのが躊躇われたもんでした。
すべて計画性もなく(しかし、計画なんてしようもないじゃないか)で歩んできた我が人生。
で今、偶然にギターを教えていて10代の学生さんがふたり続けてくれている。きっといい学校に通ってるんじゃないかとも思うけれど、勉強だけじゃない、楽器を弾く事。若きあなた自身が今選んだギターっていう楽器を、いつか自分の人生を豊かにしてくれるものになったらいいなー、という気持ちで私は彼 彼女に対峙しています。
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いやいや、計画しながら生きる人はいるらしいよ。私もそうじゃないので。計画というか、安全性の確保らしい。これはものすごく大切なこと。。。なのに私にはこの才能がなかった。身につまされるので繰り返しますがね。
一歩二歩先の安全は考えられるのが救いだ。滑る登坂なら次の足場を見定めるとか(先週の散歩。四つん這いで登るのが面白かったが、長女はギャーギャー泣き叫んでいた。次女はひょいひょいと行ってしまって、結局私が後を追って、木に登った猫のごとく立ち往生してしまったところを下ろした。長女はクザンがどうにかしてくれた)。
家は慎ましい生活だったが、それは子供三人の教育料とかを貯めるためであったのだろうと、今は分かる。というわけで、有難みも感じないで適当に大学を受けてしまった。行くものと思っていた。そう育てられたし。
駄目だね。
それでも、大学に行った後悔はない。もっと色々やればよかったという想いはあれど。
受験をする若者もしない若者も、楽器を学ぶ人も学ばない人も、みな、人生の糧を少しずつ貯めてくれているといいね。