母の故郷 大分の山
順番は前後し、旅の序盤に戻ります。愛媛からカーフェリーで大分に渡った翌日のこと。
竹田市に泊まったので、山登りにしては朝ゆっくり起きて、9時頃からくじゅう連山を歩きに行ってきました。
九州の山なんて、阿蘇山と雲仙岳くらいしか名前を知らなかった私ですが、たぶん母も子供の頃遊んだであろう大分の山。ピンポイントで当たっていなくてもいいんです。ザックの中に母を連れて来たからね。
ちょうど紅葉時季でした。赤川登山口からスタート。
関東と違って、雄大だなぁー!
人はたくさんいて、最高の天気と眺めで、みんな上機嫌なのがわかります。山頂にいる人それぞれ写真を撮りあったり。私も、お願いして撮ってもらいました。
そして久住山から天狗が城→中岳→稲星山と、のんびりペースで周回します。
ここからうっかり久住山まで戻ってしまい、おっと予定していた下山路はその手前だった、とわざわざ下りにくい道を30分くらい分岐まで戻って、下山を始めたのにそこは…
間もなく藪漕ぎ、ススキ漕ぎ、しかも滑りやすい粘土質の道、というわけで、大変なだけで全く楽しくないのです!今まで、どんな道にも必ず良いところはあったのに、いいことが一つもない!
あのまま久住山から下ればよかった。そういえばここはこんな道だって情報あったなァ。これからは注意しよう。
しかも距離的にはもうすぐ駐車場だっていうのに、道迷いに。ずっとススキの踏み跡を辿って来たのに急に道が途切れたのだ。
時刻は午後2時半、まだまだ日は高い。が、もう登り返すことはできない、そんなことしたら日が暮れて今日中には下山できない。夜の防寒はなんとか雨具で大丈夫だろう。あっでも水、全部飲んじゃった。蜜柑が1個… そしたら明日はもう鹿児島へ行けないよ⁈ ビバークしながら電話でキャンセル連絡とか、するのー?
ノーノー、今やるべきは、絶対正しい道をなんとしても見つけることだ。
焦るも、地図アプリによれば絶対近くに道はあるはずなのだ。
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日が遮られ翳った道で散々不安な思いをしながら、なんとか車に辿り着きました。山へ行き続けていればいつかはこういう目にも逢うだろう、が事前のコース選びは慎重になろうと思いました。あんなに山頂では人がたくさんいて賑やかだったのに、誰も下ってないし。
その夜、ゲストハウスでの顛末は前記事の通りです。
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翌朝は5時に大分竹田を出て、鹿児島です。寝不足だー!
知覧の特攻平和会館には長年、行きたいと思ってきました。調べると、海からすぐのところに富士山の形をした山が聳えている。それで指宿に宿を取りました。
コメント4件
あっ本当だ、怖いね。どちらがより嫌か?
尾てい骨骨折でした。。。
ご両親もリュックの中ではらはらしていたことでしょう。
和紙を見ているような見事な日本の秋ですが、そうなんだよね、山では(海よりましか)危険が常につきまとっている。ということを認識させてくれた、よい機会だったと思おう。
因みに私、山なんて相変わらず恥ずかしくてよべない近くの森を散歩していて、橋代わりの丸太の上ですべりました。偶然にもそこに木のこぶがあって、尾てい骨が。。。 痛みで気を失うかと思った。二日間は軽く寝込んだよ。熱とか吐き気とかも伴って。
何があっても車には挽かれないぞと決心した事故。痛そう。